ニュースでは連日のようにイスラエル情勢が報じられています。
その映像を見るたびに、以前仕事で訪れたテルアビブやエルサレムの街並みを思い出します。
出張当時は、まさか数年後にこのような状況になるとは想像もしていませんでした。
実際に現地を訪れたからこそ感じたイスラエルへの想い、そして宗教の持つ大きな力について、私自身の体験をもとに書いてみたいと思います。
テルアビブは「戦争」のイメージとは違う近代都市
イスラエルと聞くと、多くの人は戦争や砂漠を思い浮かべるかもしれません。
しかし、実際に訪れたテルアビブは、そのイメージとは全く違いました。
高層ビルが立ち並び、地中海沿いには美しいビーチが広がっています。

街にはおしゃれなカフェやレストランが並び、ヨーロッパの都市を歩いているような雰囲気でした。
活気があり、多くの若者が笑顔で街を歩く姿が印象的でした。
海へと続く開放的な石段。多くの人々が散歩やリゾートを楽しんでいました
夜のテルアビブ市内。近代的な高層ビルが立ち並び、ヨーロッパの都会のような賑わいでした この平和な街が、現在のニュースで映し出される光景と重なることが、今でも信じられません。
エルサレムで感じた歴史の重み
エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三つの宗教にとって特別な聖地です。
歴史の教科書で見た場所が、そのまま目の前にある。
そんな不思議な感覚になりました。オリーブ山から見渡すエルサレム旧市街。中央に見えるのが黄金に輝く「岩のドーム」 オリーブ山の傾斜地に広がる歴史ある墓地と、その向こうにそびえる旧市街の城壁 旧市街を歩くと、それぞれの宗教の人々が自然に生活しており、宗教が生活の一部であることを強く感じました。
エルサレム旧市街の市場(スーク)。歴史ある石造りのアーチの下にお店がひしめき合っています 生活感と異国情緒が漂う旧市街の狭い路地 シャバットで驚いたユダヤ教の教え
今回の出張で最も印象に残った文化が、シャバット(安息日)です。
シャバットとは、金曜日の日没から土曜日の日没までのおよそ24時間、「仕事をしてはいけない」というユダヤ教の教えです。シャバット(安息日)を迎える前に、市場で食材を買い求める現地の人々 山のように盛られたデーツ(ナツメヤシ)やドライフルーツ。安息日中の貴重な保存食でもあります 最初は「休日のようなものかな」と思っていました。
しかし、現地の人から話を聞くと、その意味は私の想像をはるかに超えていました。
仕事とは、会社で働くことだけではありません。
家事も仕事に含まれます。
さらに驚いたのは、電気を使う行為そのものも控えるという考え方です。
- スマートフォン
- パソコン
- テレビ
- インターネット
メールやSNSの確認もしません。
電気のスイッチを押すことさえ避ける家庭があります。
私は思わず、
「本当にスマートフォンも使わないの?」
と質問しました。
すると相手は迷うことなく、
「Yes.」
と真面目な表情で答えました。
現代では24時間スマートフォンから離れることは、多くの人にとって簡単ではありません。
しかしユダヤ教徒にとっては、それが毎週当たり前に繰り返される生活なのです。
今でいう「デジタルデトックス」を、何千年も前から続けている文化なのかもしれません。家族との時間を何より大切にする文化
シャバットになると家族が集まり、夕食を囲みます。
仕事もありません。
スマートフォンもありません。
メールもありません。
家族との会話だけに集中する時間です。現地で食べた伝統料理。ひよこ豆のペースト「フムス」に肉料理を添え、ピタパンと一緒にいただきます 日本では、家族全員が同じテーブルに座っていても、それぞれがスマートフォンを見ている光景は珍しくありません。
しかしイスラエルでは、宗教が家族との時間を守っていました。
この文化は本当に素晴らしいと感じました。
便利になればなるほど、人と人との会話は少なくなります。
だからこそ、あえて何もしない時間を持つことの大切さを教えられた気がしました。「そこまで徹底するの?」と思った出来事
さらに驚いた話があります。
現地のユダヤ教徒から、
「シャバット中はトイレットペーパーを切ることも仕事になるので、事前に使う分だけ切って準備しておく。」
と聞きました。
正直、私は冗談だと思いました。
しかし相手は真剣でした。
宗派によって考え方は異なるそうですが、それほどまでに教えを大切にしている人がいることを知りました。
宗教とは、単に神を信じることではなく、生活そのものを形づくる価値観なのだと実感しました。嘆きの壁で感じた信仰の強さ
エルサレムで最も印象に残った場所が「嘆きの壁」です。
世界中から多くのユダヤ教徒が訪れ、祈りを捧げています。壁の隙間に祈りの紙を挟み、真剣な表情で神に祈りを捧げる人々 壁の隙間に祈りの紙を挟み、真剣な表情で神に祈りを捧げる人々 壁の前で熱心に聖書を読み、深く頭を下げて祈り続ける人々の姿 【ゲッセマネの園】イエス・キリストが最後の夜に祈りを捧げたとされる聖地 【万国民の教会内部】荘厳なモザイク画と静寂に包まれたキリスト教の聖地 壁に手を当て、涙を流しながら祈る人。
何時間も祈り続ける人。
その姿からは、信仰が人生の中心にあることが伝わってきました。
私はその姿に感動すると同時に、少し怖さも感じました。
それは人が怖いのではありません。
「絶対に正しい」と信じる力の強さに圧倒されたのです。戦争のニュースを見るたびに思うこと
もちろん、現在のイスラエルとパレスチナの争いは宗教だけで説明できるものではありません。
歴史、領土、安全保障、政治など、多くの要因が複雑に絡み合っています。
それでも現地を訪れた経験から思うのは、宗教には大きな力があるということです。
信仰は人を支えます。
家族を大切にし、生きる意味を与えてくれます。
一方で、聖書やコーランなどを「唯一絶対の正しさ」と捉え、自分たちの価値観だけが正しいという考えになってしまうと、相手を理解することは難しくなってしまうのではないでしょうか。
だからこそ、この地域の問題は簡単には解決しないのだと感じました。実際に訪れたからこそ思うこと
ニュースでは爆発や戦争の映像ばかりが流れます。
しかし、私が出会ったイスラエルの人々は、ごく普通に働き、笑い、家族との時間を大切にしていました。
- テルアビブの美しい海
- 歴史あるエルサレムの街並み
- シャバットで家族が食卓を囲む光景
それらは今でも私の記憶に残っています。
だからこそ、一日も早く平和が訪れ、この素晴らしい国を安心して訪れることができる日が来ることを願っています。あとがき
今回の記事は、政治的な立場を述べるものではありません。
実際にイスラエルを訪れ、一人の日本人として感じたことを率直にまとめました。
旅行は景色を見るだけではありません。
その国の文化や価値観に触れることで、自分自身の考え方も大きく変わります。
イスラエルへの出張は、私に「信仰とは何か」「家族との時間とは何か」、そして「平和の尊さとは何か」を考えさせてくれた、忘れることのできない経験となりました。

















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